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3.11「父へ」

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震災から6年が経ち、毎日の仕事の忙しさにあの震災での心象も社会の中では風が吹いて風化されてきている。私事だが、父の親兄弟は仙台の志津川東日本大震災により4人亡くしています。6年前の震災当日、横浜の消防団長である父は消息不明の兄弟家族の事は後回しで、第二の故郷である横浜の街の火消として動き回り、街の人々の安否に全力を挙げていました。自分の家族の事には一言も触れず、父の顔や表情には一切心配不安など見えず、不安も悲しみも語らず、ただただ、横浜の街の人の安否確認に追われていた。私的な印象だが、東北の人は優しくて、温かい。涙もろく、人情味豊かな人間味溢れる日本の土地だ。父に見える我慢強さと人情の東北気質は、現代の私達が失いかけている「背中で見せる父親の姿」を教えてくれた東北人の男の姿であろう。小さい頃によくあそびに連れて行ってもらったリアス式の美しい三陸海岸も、ぼんやりと柔らかい日差しを眺められる漁港も、港のウニもアワビも、毎日食卓に並ぶコシヒカリも、未だ6年を過ぎても食べる度に特別な感情を植え付ける。都会で言われていた復興の為のアベノミクスも東北の地で生まれた子供達の将来には未だ不安の源流だ。当時、横浜市から派遣され福島、仙台、岩手、青森と回り、深夜の高速を抜け、山の間を抜けた後に眼下に広がった、あの痛ましい光景は今でも心が痛む。復興の為に現地に入り、被災した人々と話す時、会話の中には決して語れない事実が眠っている。父は震災後暫くして胃癌で手術を受けました。心の震災は目に見えない病として、彼の生命を今でも蝕んでいると思います。一週間後の土曜日、あの日から6年目、午後2時46分18秒、世界中の人々が3.11を振り返る時間になると思います。変えられないものは変えない勇気を、変えれるものは変えていく勇気を出して誇れる地球へと育てて行きましょう。僕らの人生は成功と失敗の連続の中で幸せを見出します。同じように、あの震災の経験が誰の心の中にも未来の長い歴史の中で成功でもなく、失敗でもなく、経験として、個人、家庭、社会、国家の中に生き続ける事が次に生まれる生命の為に必要な要素だと信じています。あの時の日本人は本当に凄かった。世界に誇れる民族だって思いました。東京オリンピックが行われる4年後の日本も震災時に行動した日本の様に、世界により誇れる日本として進みましょう!

6年前、亡くなられた方の遺族の方々に改めてご冥福をお祈りすると共に、あなた方の意思を受け継いでいく事を一生かけてお約束します。そして、最愛なる父へ。

『人生で生きる男の姿を貴方から教わる事が出来ました。残りの人生も引き続きご指導願います。僕にとっては貴方が地球上で最大の師匠です。愛してます。』

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